「自分の声を聴く」ということ
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「自分の声を聴く」ということ
ここ 2 年くらい、ずーっと出口の見えない、薄暗い洞窟を必死に歩き続けていたような気がする。
ふとしたことがきっかけで、ようやくその出口が見えてきて、今まで歩いてきた洞窟が何だったのかを知ることができてきた。
今はすごい頭がすっきりしているし、前を向いて歩けそうな気がしているので、一度これまでの道のりを振り返りつつ「自分の声を聴く」という表現を使ってまとめようと思う。
自分が洞窟に入ってしまったのはおそらく 2022 年の秋ごろからだった。
その理由は、「自分の声を聴いていなかった」からだったなと思う。正確には、「自分の声の聴き方」を知らなかった。
もともと、自分はあまり感情を表に出さず、ドライ・クールと言われることが多かったように思う。
実際自分でも、周りに比べるとあまり素直に喜ぶことは少なかったし、あまり悲しくてショックを受けたという記憶もあまりない。
今思うと、これは自分が何を感じているのかを自分自身が理解していなくて、感情を表に出すことができなかっただけだった。
「自分の声を聴く」ことができていなかった、つまり、自分が今何を感じているのかに向き合えていなかったのだ。
(なぜ自分がそうなってしまったのかは、今時点ではまだわかっていない。もしかしたら幼少期に原体験があるのかもしれないけど探し中。)
その結果どうなったかというと、いつの間にか鬱のような状態になってしまっていた。
いつの間にか、自分が嫌だと思っていることをやり、いつの間にか、自分が好きだと思うこともわからなくなってしまっていた。
自分が何をしたいのか、何が得意なのかもあまりわからないし、目の前の仕事にすら前向きになれない、そんな日々が続いた。
でも、周りからは褒められたり感謝されるから、これが自分の役割なんだろう、みんながやれないことや自分しかできないことをやろう、とか思っていた。
自分の役割をまっとうするために、一生懸命今まで通りの努力をしてきたつもりだけど、なぜかこれまで以上に肉体的にも精神的にも疲労した。
最初は自分が得意な好きな仕事を率先してやっていたけど、いつの間にか好きでもないけど役割を持ってしまった仕事をこなさなくてはいけない状態になり、必要な体力が多くなっていたからだった。
でも、自分の声を聴いていなかったから、もちろん当時はそれが好きな仕事ではないとか思わなかったし、仕事に不満はなかった。
今思うと、ストレスは溜まっていることは自覚していて、そのはけ口として、酒に溺れるなんてことも多かった。その翌日は、余計に自己嫌悪に陥るのだけど。
そんな無理な生活をしていると、疲労に疲労が重なり、余計自分に向き合う余裕なんてなくなっていた。
だんだんと、仕事でストレスが溜まってしまうのは自分のせいではなく、環境のせいだとも思っていってしまった。
去年頃から、自分に向き合っていないながらも「こんな自分では嫌だな」と違和感を覚えることも増え、生活環境をいろいろと変えていた。
でも、変えても、前みたいに生活することは遠かった。朝は起きれないし、仕事も集中してできない。なんか楽しくない。
もちろん、変えてよかったと心から思うこともたくさんあったけど。
でも、その場その場では楽しかったとしてもなにか刹那的で、その瞬間が終わったら自分の感情も通り過ぎてしまう、そんな感じ。
今年の 7 月に転職した後も、なかなかその感情は抜けず、「環境を変えれば変わると思っていた」という期待に対して「環境を変えても変わることができない自分」に裏切られた。自分の期待する姿を見せて入社していたから、それに見合う仕事ができていないことに対する罪悪感なんかも抱えたりした。
(とはいっても、冷静に考えると仕事はめちゃめちゃできていたと思うけど、「本当は自分はもっとできるんだぞ」と思うことが多くそんな自分に嫌気が差すことも多かった)
こんな状態で働き続けても、あまり良いパフォーマンスは出せないし、人生がうまくいく気がしなかったから、思い切って 9 月に休職することを選んだ。
転職してまだ 2 ヶ月だし、いろいろ期待もしてくれていたところだったけど、そんなことよりも、ここで踏ん張ることでまた自分が壊れてしまうのが怖かった。あとは「自分の中にある理想の仕事をしている自分」になれていない自分に対する罪悪感、焦りが大きく、この場所から逃げたいという気持ちもあった。
とにかく、仕事から離れることで「自分自身を見つめること」をしようと思った。
その決断を伝えた会社のみんなからは「何も気にせず思う存分休んでほしい」「いつ帰ってきてもいいし、数ヶ月なんて全然大丈夫」と声をくれた。
本当にありがたく、めちゃくちゃ甘えさせてもらった。会社の Slack 等はすべてシャットアウトした。
とはいっても、人生を通して「自分自身を見つめる」ということをしたことがなかった。
「自分の感情をさらけ出す」というのはなにかくすぐったい、とても恥ずかしいことだったから、最初は全く自分に素直になれなかった。
周りの人には、「何もしなくても良い」「自分の好きなことをすれば良い」「自分が今やりたいと思うことをやるのがいい」というアドバイスをもらった。
とにかく何かをすることを目的にするのではなく、自分の感情をそのままにしておくことを目的にいろいろと行動した。
とはいっても、最初の 2 週間位はひたすらぼーっとしているだけだった。ぼーっとするくらいしかできなかった、というのが正しかった。
途中から、なんとなく「やってみたいかも」と思うこと、気力が出てきて少しだけ精力的に動けるようになった。
具体的には、「突発的に高尾山登ってみる」「会いたいと思う旧友に関西や北陸に会いに行く」「1 回は見たいと思った琵琶湖に行ってみる」「福井の恐竜博物館に 1 日中いる」みたいなことをした。
そこらへんから、だんだんと、ぼんやりとだけど「自分が好きだと思うこと」「自分が感情が揺さぶられること」を感じられるようになってきた。
とにかく、「自分が面白いと思えること」「好きだと思えること」をすることがなにか自分を前に動かすだろう、突然何かがつながるかもしれない、くらいの気持ちで続けていた。
そんなある日、自分の感情が大きく揺さぶられる出来事がおきた。
自分に向き合うのが恥ずかしいなんて言ってられないくらい自分の感情に向き合うしかなくて、「今自分が何を感じているか、それはなぜか」「どうしたいのか」をひたすら自問自答する日々が続いた。
毎日考えたこと、思ったことをひたすら日記に書き殴った。毎日考えすぎて、頭はパンパンだったけど、ひたすら自分が何を思っているのかを文章で書いていたので、それを読んで自分の声を自分で知ることができた。
自分は何が好きなのか、何が嫌なのか、今何を思っているのか、どういうときに嬉しいと感じるのか、どうしてほしかったのか、、、考えたらどんどん言葉が出てくるようになった。自分ってこんなにいろんなことを思っていたんだ、とびっくりした。
ひたすら日々の感情を日記に書き続けたら、日々生活している中で自分の感情の声が聞こえるようにもなってきた。
「自分はこういう仕事をしているときが楽しいな」「自分はこういうことを言われるのが嬉しいな」「今この言葉に傷ついたな」ということを気付けるようになった。
少し話はそれるけど、前に「あなたは一番奥の心の扉を開かないよね」とか「全然自分のこと話してくれないよね」と言われたことを思い出した。
自分は、自分が今感じていることや思っていることは全て話しているつもりだったからそんなことを言われるのは心外だし、これで見せていないと言われても何を出せば良いのかわかっていなかった。
けれど、自分でも自分の心の扉を開いていなかったから、そこまでしか言葉としては出せかったんだなと気づいた。自分のことを全然わかっていなかった。
自分にとっては「すべて」だったけど、相手にとってはそれは「すべて」ではなかったんだとおもう。
自分の声が聴こえるようになってからは、日々の生活がだいぶ変わった。
自分をすごい大切にするようになったし、自分が何が好きなのか、自分が何をしたいのかをはっきりと主張できるようになった。
今、自分は自分にとても興味を持っている。まだまだ知りたいし、いろいろ考えたい。
自分のことを考えるのに恥ずかしいという気持ちはだいぶ薄れたし、本当に生きるのが楽しくなった。
心なしか記憶力とか思考力が格段とあがった気がする。
長く暗い洞窟はようやく出口が見えてきたけど、自分ひとりの努力では到底出口にはたどり着けなかった。
とりとめもない話をとにかく聞いてくれた人、毎日人生観をひたすら語り合ってくれた人、感情に向き合うことを教えてくれた人、感情を表現することを教えてくれた人、休職を勧めてくれた人、休職を嫌な顔せずに送ってくれた人、「会いたい」「話したい」と思って声をかけたときにすぐに返事をしてくれた人、自分の価値観を否定することなく受け入れてくれた人、とても辛かった 2 年間近くで支えてくれた人、、、
いろんな人の支えがあってなんとかどん底からはい出せた。この 2 年間を支えてくれたすべての皆さんには本当に感謝しかない。ありがとうございます。
反対に、この余裕がない数年間は、自分勝手な言動だったり自分の思いを上手く伝えられなくていきなり関係性を切ったりと本当にいろんな人に迷惑をかけたし、傷つけたこともしたと思う。ここで謝ってもどうしようもないけど、ごめんなさい。
また、この数年だけじゃなくて「自分の声を聴いていなかった」ときにも、同じように迷惑をかけて傷つけてしまったことも多かったと大反省した。それによっていつの間にか失ったものもたくさんあったなと実感している。
改めて、自分の声を聴いて、自分を大事に、またその自分を支えてくれる人はもっと大事に生きていきたい。
今までたくさん助けてくれた人にはたくさん恩返しをしたい。
そういう友人、仲間、家族、恋人、、、そういう人たちとの思い出をたくさん作りたい。
最後に
最近言われて嬉しかったことは?最近イラッとしたことは?最近やっていて一番ワクワクした仕事は?
こんな質問をされたときにハキハキと、自分の感情や原体験を織り交ぜて喋れるあなたは、自分の声を普段から聴けているのだと思う。
声が聞こえてこないな、と思ったあなたにおすすめしたいのは、日記。
自分は、iPhoneのメモアプリに誰に見せる目的でもなく、ひたすら思ったことを書き殴った。
起きたこととか事実を列挙する日記ではなく、自分の感情の変化を日記に書いていくと、自分の声が聴こえるようになる。
他人に見せる必要はなく、読んでもらうのは自分だから恥ずかしいことも書けると思う。
書くのが苦手な人は、ボイスメモとかで録音するのでもいいかもしれない。
自分に素直になれる場所であれば、日記ではなくてもいいかもしれない。もし違う方法をやっている人がいたら教えてほしい。
自分で書いた文字を自分で読んだり、自分で発した声を自分で聞くことで自分の声がどんどん聴こえてくるようになる。
ぜひ。